考える力

2011年6月29日

"考える"環境を与えよう(1/2)

「僕の住んでいた地域は野球も盛ん。少年団でも9時から12時まではサッカー、12時半から15時半まではソフトボールをしていました」

――では当時のポジションや覚えているエピソードはありますか?

「小学4年生までは足が速かったのでFWをしていたのですが、みんなの速さが追いついてきたので、そこからは中盤になりました。

僕の年代は全日本少年サッカー大会で3位になった高槻松原SCが強かったですし、大阪府大会で1回勝てればいいくらいレベル。僕が地区選抜に選ばれた際に高槻松原SCとも対戦したのですが、1点先制して調子に乗っていたら、その後に13点取られて負けたことも、よく覚えています(笑)」

■サッカーを楽しくしてくれた「考える力」

――中学校、高校時代は枚方FCで過ごしました。そのきっかけは?

「高槻松原SCと対戦した時の選抜チームの吉岡(寛)監督が、当時の枚方FCの監督で、声をかけてもらいました。枚方FCは、小学校から枚方FCでプレーしている選手が多いので、最初は『受け入れられていないな』という感じはありました。

自分ではうまいと思っていても、リフティングくらいでは認めてもらえるレベルではなく、ゲームに使えるテクニックがないと認めてもらえない。ドリブルもテンポが違って、3カ月くらいは戸惑いました。

でも練習試合で1回ディフェンスをかわしてシュートを放ったとき、周りが『やるじゃん』と思ってくれたようで、そこからは徐々に慣れていきました。当時のチームには関西選抜に入っている選手も何人かいたので、彼らには負けないと思いながらトレーニングをしていましたね。

当時、みんなが目標としているOBの学生コーチ(吉岡淳さん、第8回全日本クラブユース優勝メンバー)がいたんです。相手の裏を取ることが抜群にうまくて、その人と1対1の練習やゲームで対面して『駆け引きをして、いかに裏を取るか』ということが途中から楽しみに変わっていきました。吉岡コーチほど、楽しみながらうまさを出せる人は、これまで見たことはありませんね」

――目の前の目標を持つことは大切ですよね。

「目の前のコーチをマネすることは大事だと思います。枚方FCジュニアユースのサッカーはドリブルと、相手をかわして裏を取ってからパスを出すというスタイルですが、それも吉岡コーチとの1対1で鍛えられたと思います」

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