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JFAグラスルーツ推進部部長が行く!あなたの街のサッカーチーム訪問

とあるコーチが少年サッカーチームにハンディキャップ部門をつくった理由

公開:2017年1月25日 更新:2017年8月 3日

全国の少年サッカーチームの中には、特段強いわけではなくとも、子どもの成長や地域貢献にとても役立つ活動をしているチームがあります。
 
今回、日本サッカー協会(JFA)グラスルーツ推進部の松田薫二部長が訪れたのは、北海道・石狩市を中心に活動するシーガルサッカークラブ。取材日は、日本列島を“最強寒波”が襲った1月中旬のこと。気温は氷点下、街は一面の雪景色。当然、グラウンドは使用できず、シーガルサッカークラブの活動は小学校の体育館で行われていました。(取材・文 原山裕平)
 
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【今回訪問したシーガルサッカークラブは以下の賛同パートナーです】
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<<「ここにいなさい!」子どもたちの居場所づくりのために
 

■智田さんをサッカー指導者への道に引き込んだもの

暖房の効いた体育館では、小学校1、2年生の小さな子どもたちが笑顔でボールを追いかける姿が目に飛び込んできました。そして、その横ではお母さんたちを中心としたレディースフットサルチームも一緒に練習していました。
 
このクラブには「U-12」、「U-15」、「レディース」チームのほか、もう一つのチームが存在します。それは「F.I.Dドリーム」チーム。F.I.Dとは「知的障がい者のための」という意味で、中学生以上の知的障がい者9人が、このチームで活動しています。
 
健常者と知的障がい者が同じ空間を共有し、サッカーを楽しむ。そんな理想的な環境が、シーガルサッカークラブには育まれていました。
 
シーガルサッカークラブの代表を務める智田季之さんは、もともと自身もプレーヤーで、札幌大学を卒業してからも北海道サッカーリーグでプレーを続けていました。「自分としては生涯スポーツとして、40歳になってもボールを蹴っていようと思っていたので、指導することは考えていませんでした」と、智田さんは言います。
 
サッカー指導者としての道を歩むきっかけとなったのは、大学の先輩から「国体チームのスタッフの手伝いをしてくれないか?」と頼まれたこと。20代後半から約5年間、国体チームの指導に携わってきました。
 
一方でその頃、長男がサッカーをはじめたものの、高学年の時に在籍したチームでもめ事が起き、5、6年生全員が退団。辞めた子どもたちを指導してほしいと他の保護者から求められた智田さんは、自身でチームを立ち上げることを決断したのです。
 
ただ、同じ地域に2つのチームが活動することを快く思われず、立ち上げ当初は大きな苦労もあったと言います。それでも周囲の協力を得ながら、その苦難を乗り越えていきました。
 
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■次男が気づかせてくれたハンディキャップの世界

1997年4月にJFA登録を完了すると、翌年にはジュニアユース部門を設立。さらに2000年には知的障がい者のためのハンデキャップ部門を立ち上げることとなりました。
 
なぜ、智田さんはハンデキャップチームを作ったのか。その背景には智田さんの次男の存在がありました。
 
「実はウチの次男が知的障がいなんですよ」
 
智田さんは、そう打ち明けました。
 
シーガルサッカークラブでサッカーを始めた智田さんの次男は、当初は他の子どもたちと同じチームでプレーしていましたが、智田さんにはコーチや周りの子たちが次男に対して気を遣っているように感じられました。
 
「試合に出してあげようとか、他の子どもたちも気を遣ってパスを出してくれる。でも内心は、勝ちたいという気持ちがあったはず。そうなるとウチの次男は足手まといになるんですよ。だからチームのためにも別の場所でやらせたほうがいいんじゃないかと、考えるようになりました」
 
当時、北海道には、北海道コンサドーレ札幌の初代監督だった高橋武夫氏が立ち上げた「北海道サッカーアカデミー」というクラブがありました。そのアカデミーは、知的障がい者を持つ親によって構成される団体からの要請を受けて、知的障がい者を対象とするサッカースクールを開催していました。
 
智田さんは試しに、次男を連れてそのスクールに入会し、自身もボランティアとしてその活動に参加。1年ほどやってみると、これなら自分でもできると考え、シーガルサッカークラブ内に、ハンデキャップ部門を立ち上げるに至ったのです。
 
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■底知れないサッカーへの情熱

現在、ハンデキャップ部門は「F.I.Dドリーム」と名前を変えて、週一回のペースで活動。立ち上げ当初から所属する選手も含めて9人が、このチームでプレーしています。智田さんの当面の悩みは、人数が足りずに試合ができないこと。
 
「一時は13人くらいいたので大会に出場できましたが、今はなかなか出られないですね。仕事に就いてしまうと、なかなか時間が合わないので。一応在籍しているけど幽霊部員のような選手もいますね」
 
当時は子どもだった選手たちも、すでに20代、30代となっており、自由にサッカーができる時間は限られてしまう。試合に出るという楽しみが消えたことで、在籍する選手たちはストレスを感じているのではないか。そんな懸念を智田さんは抱いているのです。
 
「子どもたちを受け入れることはしないんですか?」
 
松田部長が、そんな疑問を投げかけます。ここにも智田さんの悩みが浮かび上がってきました。
 
「現状は一番年下が高校生なんですよ。もし、今のチームに小学生が入っても、一緒に活動できないんです。受け入れるにはコーチを増やしたり、場所を確保できない限りは厳しいですね。本当は小学生から面倒見たいんですけど、ちょっと年齢層が高くなりすぎてしまって……」
 
小学生チームとレディース部門の練習を夕方16時に終えた智田さんは、わずかなインターバルを経て、18時から別の小学校の体育館で、「F.I.Dドリーム」の指導を始めました。同じ時間帯には、ジュニアユースの練習もスタートします。
 
サッカーに対する情熱は、自身が選手時代から少しも衰えていない。エネルギッシュに指導を行う智田さんからは、底知れぬ“サッカー愛”が感じられました。
 
ところで、「F.I.Dドリーム」の選手の中に、智田さんの次男の姿はありませんでした。
 
「うちの次男坊は、もう、サッカーをやってないんですよ。どうも、好きじゃなかったみたいで……」
 
バツが悪そうに笑う智田さんの表情は、ちょっぴり寂しそうに映りました。
 
「障がい者を教えることは、健常者を教えるうえでも役に立つ」障がいを特別扱いしないサッカーコーチの言葉>>
 

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取材・文 原山裕平

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