蹴球子育てのツボ ~サッカーで子どもは一人前になる~

2018年8月22日

忘れ物したら試合に出られない。届けるのが親の愛情じゃないか問題

チームで一番うまい子が遅刻&レガースを忘れて試合に出してもらえなかった。コーチには親が忘れ物を届けないように言われているけど、出られなかった子は帰宅後泣き続けたそう。小4に対して厳しくない? 親が忘れ物をリカバリーすることがそんなに悪いこと? とご相談をいただきました。

みなさんのチームでも同じようなこと、ありませんか?

スポーツと教育のジャーナリストであり、先輩サッカーママでもある島沢優子さんが、今回もジャーナリストとしての知見やご自身の経験を通して、アドバイスを送ります。失敗は成長のチャンスですので、ぜひ参考にしてください。(文:島沢優子)

※レガースを外したシーン 写真は過去のサカイクキャンプのものです。質問者及び質問内容とは関係ありません

<<上の学年へ飛び級していたのに補欠にされ、移籍考えてます問題

<サッカーママからの相談>

少年団チーム指導者の厳しさについて悩んでいます。
息子は小学4年生です。

とある公式試合の決勝戦が行われる日。チームで一番上手くて選抜にも選ばれるような子が寝坊して遅刻した挙句レガースを忘れてきました。

監督ではないボランティアコーチの方がその子に対して「準備と意識が足りていない。今日の決勝は出なくていい。ベンチではなく観客エリアで見学しなさい」と厳しく突き放しました。

このコーチは普段から、「サッカーをするのは自分なんだから、サッカーに行く準備は自分ですること」と言い、私達保護者にも「例えお子さんが忘れ物をしていると気付いても、手を貸さないで下さい。忘れたまま行かせて下さい」とお願いをされてました。

結果、試合にはボロボロで負け、寝坊と忘れ物をした子はチームメイトから文句を言われ、帰ってから泣き続けてたそうです。

コーチの指導方針は分かります。賛同できる点もあります。

ただ、忘れ物や寝坊に気付いた親が、それをリカバリーするための行動をする事が、そんなに悪い事なのでしょうか?

まだ小学4年生の子どもですし、失敗を経験しながらも、その失敗をリカバリーするためのフォローをする親の愛情を感じさせてやるのは間違いでしょうか?

一度、そのコーチにそれとなくその時の話をした時、コーチからは「保護者の方々は褒めるか慰めるかだけにして下さい。子どもが自分で考えて答えを導き出す事を待ってあげて下さい。待って見守ってやる事が我々大人の仕事です」、「それに負けた事を1人の選手のせいにしている子ども達にも、考えてもらう良い機会なので放置して下さい」と言われました。

小学生に対して少し厳しい気がするんですが違いますか?
これが良い指導...となるのでしょうか。私にはよくわからなくて。

やはり監督さんに相談した方が良いのでしょうか?

<島沢さんのアドバイス>

ご相談、ありがとうございます。本当に良いご相談をしてくださいました。心から感謝します。

「ようやくまっとうなコーチが現われ始めた!」
ご相談の文章を読んで、心から嬉しくなりました。

なぜなら、暴力指導や暴言といった困ったコーチの相談も舞い込みますが、発覚の背後には似たようなことがその数十倍隠れていると言われています。今回は、良いコーチの例ですが、こういった方がひとりいるということはきっと数十倍いるのかもしれません。とにもかくにも、少しずつ少年サッカーが変わり始めている好例だと受け止めました。

これが良い指導...となるのでしょうか? と疑問視されているお母さんからすれば、きっと「はあ?」って感じですよね。
いいんです! これこそ、少年サッカーの見本となる指導です。

お母さんがお子さんにサッカーをやらせているのはなぜですか? サッカーをするなかで成長してほしいと思われていませんか?
ここからは、子育ての目的が「未来につながる子どもの成長」と考えたうえでのお話しです。

■厳しいと感じるかもしれないけれど、間違った指導ではない

コーチの方のおっしゃることは、子育ての本質を見事に射抜いています。


「寝坊して遅刻した挙句にレガースを忘れた」選手に対し、「今日は準備不足だったね。試合に出る資格はないね。今日はあきらめよう」と諭すのは決して間違った指導ではありません。そして、そのようなペナルティを前半だけにするのか、1試合まるごと出さないかは、それまでの子どもの姿や取り組みを踏まえて、コーチそれぞれが考えて決めるものでしょう。

仮にチームのエースでなかったとしても同じことです。
このことで、この選手は二度と忘れ物をしないばかりか、サッカーへの取り組みがきっと変わるでしょう。つまり、コーチの指導は、子どもの成長を促すことになります。

■子どもは失敗を経験することで成長する

しかも、このコーチは指導方針(というかチームのマネージメント方針)を、あらかじめお母さんたち保護者に伝えています。忘れ物に気づいても手を貸さないようにと釘を刺しています。

なぜなら、忘れ物をしても親に届けてもらえる子どもは、永遠に準備を怠ります。サッカーに限らずすべてのスポーツは「いい準備をする」哲学を子どもの頃から叩きこんでおく必要があります。準備の重要性は失敗して学んでいけばよいのです。

それに人は失敗をして、苦い思いを味わうことで成長します。手ではなく足でプレーするサッカーは「ミスのスポーツ」とも言われますね。そもそも一度も負けずに、ミスもせずに大きな人間になることなどあり得ません。事をなした人ほど、大きな失敗から立ち直っています。

つまり「忘れ物を届ける」という親の行動は、一見愛にあふれたほほえましいものに映りますが、実はわが子の成長を奪っているわけです。

「失敗をリカバリーするためにフォローする親の愛情を感じさせてやるのは間違いか」とご質問されていますが、それは正しい愛情でしょうか?

■親も失敗から学べばいい、大事なのは「正しい愛情」で接すること

私は、親がもつわが子への愛情には「間違った愛」「正しい愛」という両極にある二つの愛があると考えています。
過日、文部科学省の幹部が東京医科大に自分の息子を裏口入学させたことが発覚しました。恐らくわが子可愛さでしょう。が、これは間違った愛情です。推測にすぎませんが、失敗するわが子を見たくなかった、もしくはご自分のプライドが不正に手を染めさせたのではないでしょうか。

正しい愛情は、わが子を信じて見守ること。
物事の本質を見極められる年齢になった子どもたちは、自分の失敗を怒らず、笑わず、黙って見守ってくれた親の正しい愛情に心から感謝します。

それとは逆に、私たちがインタビューするトップアスリートに「子どものころからいつも忘れ物は親に届けてもらっていました」と親に感謝する人はほぼいません。

目の前で失敗する子どもの姿を見るのは親として辛いものかもしれません。人生であまり失敗をしてこなかった親御さんほど、わが子の失敗が恥ずかしく、見ていられず、つい手助けしてしまう。逆に、失敗の多かった方は、優秀な子どもに自分の人生の敗者復活戦を望みます。

手助けも、敗者復活戦も、傍で見ていて気持ちのいい子育てではありませんよね。たまに、自分の子育てを他人になって眺めてみてください。難しければ、誰か心の許せる人に尋ねるといいでしょう。そうやって歪みを見つけては直していく。それが親としての成長です。私たちもまた、失敗から学ぶのです。

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