テニスの錦織圭選手の大躍進をきっかけに、「早熟の天才」について考えることで、多くのそこまでの才能に恵まれていない選手たちの育成方法が見えてきます。今日も「晩成型」の育成について研究されている慶應義塾大学テニス部の坂井利彰監督(慶應義塾大学体育研究所専任講師)にお話をお聞きします。坂井先生によれば「成果が出るのが先になる晩成型とはいえ、成長するまで何もしなくていいわけではない」と言います。
晩成型の選手を育てるためには、どんな準備が必要なのでしょう?
取材・文/大塚一樹 写真/田川秀之
■晩成型として活躍するために育成年代でやっておくこと
天才でない選手たちが天才ひしめく世界で戦っていくには、日々成長を続けていくしか道はありません。そういう意味では、小さい頃の習慣として「練習をする」才能を身につけた選手たちは、キャリアの後半に向けて大きく成長していきます。
サッカーでも大学経由でJリーグ、そして世界へ巣立っていった長友選手のような成長曲線や、本田圭佑選手や中村俊輔選手のように高校時代に一度挫折を味わってそこからさらに伸びたパスウェイ(経路)を持っている選手もいます。
いまでは、錦織選手のように早くから海外の、しかも超一流クラブに属する日本の天才サッカー少年たちもいると聞きますが、彼らのこれからの進路に注視すると同時に、彼らではない、日本から育つ晩成型の選手も同時に育てていかなければいけないと思っています。
これはプロ選手やトップレベルにかぎったことではありません。たとえば、小学生のころは身体の小さかったサッカー選手と成長の早い早熟型の選手が、中学校で立場が逆転するケースがあります。高校でレギュラーをとるためにいま何をしていくかと言うことにも役立つでしょう。
晩成型の選手は「待っていれば、いずれ開花する」ということではありません。競技を続けることは大切ですが、自分の成長の段階やスピードを良く把握した上で、そのときに必要な技術、実力を焦らず身につけていくことが求められます。いまできない技術があるならそれは継続して練習しつつ、それを身につけたときどんなプレーができるか、技術以外の部分を伸ばしていく、ようするに身体技術が成長したときのための準備をしておくことが大切です。
■晩成型の条件 競技を諦めない やめないこと
では、自分の子が早熟型なのか、晩成型なのか、保護者はどういう接し方で子どもたちにアプローチをしたらいいでしょう? 早熟型というのは単に背が伸びるのが早い、身体が大きいということではありません。周りが放っておけないほどの才能をいち早く発揮し、この年代でもっと上のレベルに身を投じれば世界レベルの選手になれる! という才能を持った選手のことです。そう考えると多くのお子さんが晩成型の育てかたを基本にして間違いないでしょう。
晩成型の育成は、「成長するときに目一杯花開けるように、最高の準備をしておく」という考え方がマッチします。私が子どもたちを指導するときに気をつけているのは、テニスを楽しんでプレーすることと、フェアプレー精神を身につけることの2点です。
上位の大会であってもセルフジャッジが主流のテニスは、自分の精神をきちんと持っていないとそこからプレーが崩れてしまうことがあります。フェアプレーの概念は大人になって社会に出てからも通用することなので、子どものころから積極的に学んでおきたいところです。プレー面では、世界のトップレベル、トレーニングの知見を集めて、フットワークの重要性、コースの駆け引き、戦術なども徐々に教えていきます。
日本では小さい頃から教えすぎるのは良くないと言われていますが、無理矢理詰め込むのではなく、将来必要になる要素の“種”を蒔いておくことは、決して悪いことではありません。これはオーバーコーチングや指導者の都合で選手の特徴を消してしまうこととはまったく違うことです。
自分が晩成型だとしたら、技術が完成に近づいたときにそれに見合う戦術、実力以上を引き出してくれる基本技術は欠かせない武器になります。
テニスでもサッカーでも同じですが、晩成型として活躍するために必要なのは「継続性」です。競技をやっていると節目、節目で「やめる」という選択肢が見え隠れします。ケガなのかモチベーションなのか、人それぞれですが、晩成型として輝くためには競技をなるべく長く続け、根気強くプレーし続けることが最低条件になります。
お父さんやお母さんができる最大の手助けは、ゆっくりでも少しずつ成長するわが子を見守ることでしょうか。適切な能力を順番に開花させていき、やがて上達という結果につなげる「晩成型」は、誰もが目指せる成長のパスウェイなのです。
坂井利彰
慶應義塾大学体育研究所専任講師。慶應義塾体育会庭球部監督。ジュニア時代から日本代表に選出され、慶應義塾大学在学中に全日本学生優勝を始めとして数々の学生タイトルを獲得。卒業後はテニスから離れて5年間の会社 員生活を送るが、2000年にプロ転向。精力的に世界ツアーを転戦。2006年に慶応義塾大学テニス部監督に就任し、現在はプロテニス選手として活動の傍 ら、後進の指導にあたっている。
近著に『日本人のテニスは25歳過ぎから一番強くなる なぜ世界と互角に戦えるようになったのか』(東邦出版)
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