こころ

2014年7月 3日

「日本の常識は非常識」という覚悟を持つ者が、世界に通じる

読者の皆様は選手の保護者としてサッカーに携わっている方が多いでしょうか? 
 
現在ブラジルで開催中のワールドカップを見れば、サポーターがいて、審判がいて、チームスタッフがいて、こうやってサイトを運営して情報を伝える人がいます。スパイクを開発する人がいれば、監督の通訳がいて、そしてなによりプレーヤーが存在する。私自身は書き手としてこのゲームに携わっています。
 
どのアプローチから携わるにしても。大人たちが必ず考えるべきことがあります。うーん、全員が考えるのは難しいでしょうが、ちょっとでも多くの人が考えるべきことです。
 
サッカーが世に発信できるものは何なのか。このゲームに携わってプラスになること、新たに得られる知識・情報が何なのか。
 
せっかくワールドカップが行われていることもあり、この点を改めて提言します。
 
Photo by woodleywonderworks
取材・文/吉崎エイジーニョ
 

■過去のW杯優勝国は100%キリスト教圏、が意味するもの

私の意見はこうです。5月16日に出版された拙著「メッシと滅私 『個』か『組織』か?」では、結論部分でこの点についてこう記しました。
 
まずキミが誰で、どんな特長のある人間なのか。そして、何ができるのか――
 
若い選手がこの点を知ることだと、はっきりと育成世代を意識して描きました。
 
書籍自体は、「サッカー比較文化論」と銘打つドキュメントです。分かりやすくいうと、海外組がヨーロッパで衝突したエピソード集。本田圭佑、岡崎慎司、酒井高徳らワールドカップの代表選手にも話を聞いていきました。いかに彼らが猛烈な自己主張のなかで戦っているのか。この点を伝えたかった。「メッシ」とは自己主張を続けて活躍するヨーロッパ・南米の選手の象徴。「滅私」とは組織のために戦える日本選手の象徴です。私自身が2005年に某スポーツ誌の体験取材で1年間ドイツの10部リーグでプレーしたことが、この本を記す原点でした。
 
じゃあ、なぜあえて「比較文化論」を育成世代の話で締めくくったのか。
 
サッカーというゲームで、勝敗に貢献できるプレーヤーになろうとする以上(=上手くなろうとする以上)この点との「衝突」は避けられないからです。
 
たとえ日本の田舎町でボールを蹴っていたとしても、これは同じことです。
 
キリスト教圏の文化。
 
11世紀にはじまった教会での「罪の告白」により、尊厳のある「個人」が生まれた文化から発展したスポーツ。
 
小難しい話となりました。ワールドカップ優勝国に例えて言いましょう。
 
"過去の優勝国は100%がキリスト教圏の国"
 
これは「100%該当」の事実です。ブラジルもイタリアもアルゼンチンもスペインもフランスもイタリアも、すべてキリスト教圏。ちなみに過去19大会の3位までを見ても02年大会のトルコ以外はすべてキリスト教なのです。
 
つまり、「サッカーが上手くなる」ためには”あくまで現状では”、この文化圏の考え方を無視することはできないのです。
 
その「衝突」の内容とは何なのか。本書籍では、私が10年近くかけて取材を続けてきた、日本(アジア)⇔ヨーロッパのびっくりエピソードがぎっしり詰め込まれています。
 

■自分が何者かを知り発信できなければ、サッカーは上手くならない

「オランダに渡った当初、とにかく"自分はここにいる"と主張を続けなければならなかった。練習ではチームメイト同士が削り合って、時に殴り合うような激しさだった。試合になるとそのチームメイトを守るために、相手チームとケンカするという」(本田圭佑/現ACミラン所属)
 
「日本とは明らかに守備のやり方が違います。”これは無理だろ?”というタイミングでも平気でボールを奪いに行く守備をする。一か八かでも、奪えればスターだというような考え方で」(酒井高徳/現シュトゥットガルト所属)
 
「フランスのセンターバックは個人能力で守ることが前提なんですよ。抜かれたらその選手のせい、という」(松井大輔/現ジュビロ磐田所属)
 
Jリーグでプレー経験のある韓国人のスーパースターもこんな発言をしています。
 
「ここで一番苦しいことは、”先輩”がいないこと。韓国では先輩についていけば、ミスもカバーできる、という考えでプレーした。でもここではそれが通じない。先輩、後輩という考え方がないですから」(パク・チソン/オランダのPSVに移籍したばかりの頃)
 
その他、「試合に出られないと監督に出場を直訴しなければならない話」、「失点するたびに味方を責めあう話」、「オウンゴールをしても謝らないCB」、「味方など見ず、とにかくシュートを狙っているFWの話」など、”ホントにプロ?”というようなとんでもない話が出てきます。
 
めちゃくちゃな話かもしれない。しかしいっぽうで、こういった考えを持つキリスト教文化圏こそが、サッカーの世界で圧倒的な力を発揮してきた。そこにぶつかる日本選手の様子を「文明の衝突」になぞらえて描きました。
 
端的にいうと、自分の考えを主張できなければならない。自分が何者かを知り、発信できなければならない。
 
これは日本社会での教育・道徳と反する部分があるでしょう。謙遜をし、仲間のために頑張らないといけない。もしこの先、日本を飛び越え、世界に羽ばたくプレーヤーとなるには……「日本の常識は非常識」といった覚悟すら持たなくてはなりません。
 
この折り合いをどうやってつけていくのか。
これは日本サッカーの大きな課題であり、このゲームに携わる人(できれば)すべてが考えていくべき点です。
 
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サッカーは「文明の衝突」だ!
もはや国民的行事となった感のある、サッカーW杯。ヨーロッパでプレイする「海外組」が主体となった日本代表は、以前とは違い、技術や戦術では「世界」と遜色ないレベルに達したようにも思える。しかし、大一番で勝負を分けるのはメンタリティだ。そのメンタリティを形成する文化的背景とは何なのか? ドイツでのプレイ体験もある著者が、深刻なカルチャーギャップを体感した選手たちへの取材をもとに、大胆なサッカー比較文化論を書き下ろした。本田圭佑、岡崎慎司、長友佑都、松井大輔、槙野智章、宮本恒靖、宇佐美貴史、奥寺康彦、パク・チソンなど、現役選手や関係者の貴重な証言が満載!
 
 
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