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サッカー豆知識

日本サッカーとオリンピック オシムさんとの隠れたエピソード

2013年9月 9日

キーワード:五輪日本代表

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 日本時間の9月8日早朝、2020年のオリンピック開催地に東京が選ばれました。早起きしてこの結果を見守った人、第一回の投票から眠い目をこすりながらテレビにかじりついていた人も多かったのではないでしょうか。ガーナ戦を控えたサッカー日本代表の選手からも「オーバーエイジ枠で出たい」と出場に意欲を見せる選手が続出するなど、早くもポジティブな反応が続々届いています。
 
 23歳以下が出場する男子サッカー競技、7年後に主役となるのは、現在の中学生でしょうか。年齢制限のない女子と併せて、いまサッカーを一生懸命プレーしている子どもたちに大きな目標ができました。彼らの活躍のためにも、山積する様々な問題をひとつずつ片付けていかなければいけません。
 
 東京招致委員の中には最終プレゼンテーションにも加わったフェンシングの太田雄貴選手らアスリートたちの活躍も目立ちました。スポーツの素晴らしさを身をもって知っている、それを体現できるアスリートたちが自ら勝ち取ったオリンピック。準備すべきことはまだ多く残っていますが、今から開催が楽しみですね。
 
 オリンピックのサッカー競技といえば、年齢制限があること、W杯という強力なライバル? がいるためにイマイチ地味な存在ですが、せっかく東京での開催が決まったのですから、今日は日本サッカーとオリンピックの話をしてみたいと思います。
 

■日本サッカーの運命をも変えた「おもてなし」の心

 今回の開催決定に至るまで、決め手となったと言われているのが日本人が持っている「おもてなし」の心。開催国としてのホスピタリティが高く評価されたと言われています。現日本代表のザッケローニ監督も「日本の文化、ホスピタリティ、礼儀正しさが評価されたと思う」と日頃から自身が絶賛している日本の良さを改めて賞賛しています。
 
 実は日本人が世界に誇るこの「おもてなし」が日本のサッカー界の大きな助けになっていたことをご存じでしょうか? ザッケローニ監督はもちろん、過去に日本を導いてくれた多くの外国人指導者は、日本に来た理由に「おもてなしの心」を挙げています。故郷から遠く離れた極東の島国で指揮を執るという難しい選択を選ばせたのは、おもてなしの国、日本での過ごしやすさにほかなりません。
 
 今日ご紹介するのは、2006年から2007年まで日本代表を率いたイビチャ・オシム監督と“東京オリンピック”のエピソードです。1964年、いまから49年前に東京での最初のオリンピックが行われました。戦後急速な復興を遂げる日本に、スポーツの祭典がやってくる。多くの国民が胸を躍らせ、世界各国から集まったアスリートたちを迎えました。
 
 1936年のベルリンオリンピックで初出場、スウェーデンを破る快挙を成し遂げたあとは不参加が続き、思うような結果を残せていなかったサッカー競技も地元開催に燃えていました。
 
 アジアで初めて行われるオリンピック。当時の欧米人には馴染みのないこの国にやってきたサッカー選手たちの中に、ひときわ長身の青年がいました。ユーゴスラビア代表の一員として来日した若き日のイビチャ・オシム青年。そうです。オシムさんは東京五輪に選手として出場していたのです。
 
 オシムさん自身が語るところによると、多くの日本人は東欧から来た身長190㎝の若者を温かく迎えたそうです。生まれて初めて目にしたカラーテレビや、建ち並ぶビル、整備された道路などに驚き、合宿所での快適な生活を「とても気に入った」といいます。
 
 ある日、自転車を借りてチームメイトとサイクリングに出かけたオシムさん。近代的な町並みと牧歌的な風景が混在する不思議な東京を散策していると、とある農家に行き着きます。ユーゴスラビアサッカーチームを見かけた農家のご婦人は、選手たちを歓待して、梨を振る舞ってくれました。オシムさんは自著の中でこのときの感激をうれしそうに綴っています。
 
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■川淵会長VSオシム監督?

「若いころお世話になった日本にいずれは恩返しがしたい」
 
 時が経ち、Jリーグのジェフ市原(当時)からオファーがあったとき、オシムさんの元には欧州の強豪クラブからのオファーが複数あったそうです。それでも日本を選び、みなさんもご存じのようにジェフから日本代表の監督に就任、日本サッカーに大きな貢献をしてくれました。もし、あのとき農家のご婦人が梨を振る舞っていなかったら……。それだけで決めたわけではないと思いますが、もし彼が日本を選ばなければ、私たちがイビチャ・オシムと聞いても「ああ、あのチャンピオンズリーグで何度も優勝した監督ね」となっていたのかしれません。
 
 1964年の東京オリンピックには、川淵三郎日本サッカー協会最高顧問も選手として参加していました。このときの日本代表はグループリーグをガーナに次ぐ2位で通過。準々決勝でチェコスロバキアに敗れますが、4年後のメキシコ大会、いまも語り継がれる銅メダルを勝ち取る礎となるプレーを見せました。
 
 この大会には非公式ながら敗者同士で戦う、いまで言うエキシビジョンマッチがありました。その1回戦で、日本はオシムさん擁するユーゴスラビアと対戦しています。結果はオシムさんの2ゴールなどでユーゴスラビアが6-1で大勝。一矢報いたのは、伝説のストライカー・釜本邦茂選手でした。
 
「オシムって言っちゃったね」
 
川淵さんの「世紀の失言」とまで言われた発言から始まったオシム監督の日本代表。川淵さん27歳、オシムさん23歳の時に実はピッチで出会っていたのです。
 
 前回のオリンピックでメイン会場として使用された国立霞ヶ丘陸上競技場は、ハンガリーとチェコスロバキアの間で行われた決勝戦の舞台となりました。「国立」と言えばサッカーの聖地として特別視されていますが、多くの名勝負を生んできた国立競技場も2020年に向けて改修されます。収容人員も5万4000人から8万人に増設され、全天候型の素晴らしいスタジアムになる予定。新たな国立で新しい物語を紡ぐのは、暑かった今年の夏に必死でボールを追いかけた、サカイク世代のサッカーキッズかもしれません。
 
 
大塚一樹(おおつか・かずき)//
育成年代から欧州サッカーまでカテゴリを問わず、サッカーを中心に取材活動を行う。雑誌、webの編集、企業サイトのコンテンツ作成など様々 な役割、仕事を経験し2012年に独立。現在はサッカー、スポーツだけでなく、多種多様な分野の執筆、企画、編集に携わっている。編著に『欧州サッカー6大リーグパーフェクト監督名鑑』、全日本女子バレーボールチームの参謀・渡辺啓太アナリストの『なぜ全日本女子バレーは世界と互角に戦えるのか』を構成。
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文/大塚一樹 写真/新井賢一(第37回全日本少年サッカー大会決勝大会より)

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