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インタビュー

ドリブルだけは誰にも負けない気持ちが強かった小学生時代――原口元気(浦和レッズ)

2013年2月25日

キーワード:浦和レッズ

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2003年の第27回全日本少年サッカー大会で、江南南サッカー少年団の主力選手として優勝に貢献。「江南の鷹」の異名を取った原口元気選手。中学進学と共に浦和レッズジュニアユースに入り、その後、飛び級でユースに昇格して当時日本人最年少でトップチームとの契約しました。今回は小学生の頃から注目を集め、現在は浦和レッズで活躍している原口元気選手の子どもの頃のエピソードを中心にお届けします。
 
 

■サッカーだけでなく、外遊びにも夢中だった子どもの頃

――原口選手がサッカーを始めたのは?
 
「気づいた時にサッカーが好きになっていましたね。確か幼稚園の頃だったと思うのですが。すごく楽しかったけれど、試合に負けると、必ず毎回悔しくて泣いていたことを覚えています」
 
――どんな子どもでしたか?
 
「犬と生活をしているといってもいいくらい、いつも犬と一緒に遊んでいたような気がします。また、友達とよく声をかけ合って、夏は昆虫採集に出かけ、クワガタやカブトムシ、バッタなどを獲りに行っていました。学校からの帰り道、小学校の通学路にあった用水路で、あたりが真っ暗になるまで魚やザリガニ獲りをしていたこともありました。だから、なかなか家にたどりつかなかった(笑)。学校と家の間には、遊び場がたくさんありましたね」
 
――サッカー以外のスポーツの経験は?
 
「幼稚園から小学2年生頃までは、サッカー以外に水泳もやっていました。でも、ただ泳ぐことがつまらないと感じていて。スイミングスクールに行くのが嫌で、母親に『頭が痛い』と言って、よく休んでいました(笑)。でも、水泳をやっていたおかげで基礎体力がついたと思いますし、結果的に考えると、続けてよかったなと思いますね」
 
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■自宅前の公園でリフティングに明け暮れ、回数が増えることが嬉しかった

――サッカーを始めた頃は、どんな練習を行っていましたか?
 
「自宅の目の前にある公園で、よくリフティングの練習をしていたんですが、父親から『300回できるまで(家に)帰ってきちゃダメ』と言われて、必死に練習したことを覚えています。ときには、出来ていないのに『300回できたよ!』と言って、家に帰ったこともありました(笑)。練習の成果か、小学1年生で300回くらいはできるようになっていましたね。どんどんリフティングの回数が増えることが、本当に嬉しかった。ある日、浦和の公園で遊んでいた時のこと。2歳くらい年上の子がサッカーをしていて遊んでいたことがあったんですが、その子が僕よりもリフティングが上手で、しかも回数も多くできていたんです。それを見た僕の闘争心に火がつき、それ以降、さらに熱心に練習するようになりましたね」
 
――リフティングのノルマを課したお父様も、サッカーに関して熱心でしたか?
 
「当時、僕はヘディングが大嫌いだったんですよ。でも、父は『ヘディングは大事だから』といって、何度もボールを蹴って僕にヘディングをさせるんです。大人が蹴るボールだから、ヘディングをするとかなり痛いんですが、何度も繰り返しさせられて。厳しかったですね(笑)。でも、今思えば、僕がここまで来られたのは、そうやって厳しく教えてくれた父のおかげでもあると思います」
 
――他にどんな練習をしていましたか? また、この練習をしておいて良かったなと思うことは?
 
「僕はよく家の中でもボールを蹴ったり、ドリブルをしていました。とにかく、時間さえあればボールを触っていたという記憶がありますね。それはよかったんじゃないかと思います」
 
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■生意気な態度をとり続けて試合に出れず、危機感を覚えて自分を変える決意をした

――小学生の頃はどんな選手だったんですか?
 
「周りの誰よりもうまいという自信に溢れていて、試合に負ければ納得しないし、負けを仲間の責任にするような子どもでした。相手はもちろん、味方もリスペクトする気持ちなんてまったくありませんでしたし、“とりあえず、俺にパスをよこせ!”と生意気な選手でした。それが浦和レッズのジュニアユースに入って変わったんです。入った当初はまだ生意気な態度をとっていたんですが、そんな僕の姿を見て、監督やコーチは『お前には本当にリスペクトしたり、仲間を想う気持ちが足りない。だから試合には使わない』とか、『お前はサッカーをなめている』と言われ、グラウンドから出されたこともありました。でも、プライドが邪魔をして、自分を曲げることができなかった。でも、それじゃダメだっていうことに気がついたんです」
 
――気が付いたきっかけは何かあったんですか?
 
「中学2年の途中まではAチームで試合に出ることができなかったのですが、そこで“このままではいけない”と危機感を感じました。そして、なによりも、指導者の方々の本気で僕を変えようとする熱意が伝わってきましたし、また、自分も変わらなきゃいけないと本気で思えるようになったんです」
 
 

■成長が遅くて身長が伸びず、他の子にどんどん抜かれて焦ったいた頃

――自分の武器を理解し、それをどのように伸ばすかを幼い頃から意識していましたか?
 
「自分の特長がドリブルだなと気づいたのは、小学校の頃だったんですが、その頃は、他の人とは違うなとは思っていたけれど、まだ“得意だな”という程度で、特別に意識して練習するということはありませんでした。ただ、ドリブルだけは誰にも負けないという気持ちだけは強かったし、こだわりもあったと思います。意識して練習をし始めたのは中学や高校に入ってからですね。チーム練習が終わった後に、1対1の練習をして、自分の武器をさらに磨こうと意識しながらプレーしていました」
 
――原口選手が初めて感じた壁は?
 
「僕は成長が遅くて、小学生から中学生にかけて、なかなか身長が伸びなかったんです。中学1年生の頃は152センチしかありませんでした。あの時が一番苦しかったですね。極端に小さいというわけではなかったのですが、小学生の頃はなんでも常に1番にできていたのに、成長の早い子たちにどんどん抜かれてしまって。スピードでも、体の強さでも負けてしまう。しかも、成長期でケガも多くて。そういう場面では焦らないことが重要なんですが、まだ子どもでしたからね。どうしても焦ってしまうんですよ。親もかなり心配をして、『サッカーがダメなら勉強をしなさい』とよく言うようになりました」
 
 
後編:周りから『成長した』と認めてもらえる1年にしたい>>
 
 
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原口 元気//
はらぐち・げんき
FW。1991年5月9日生。埼玉県熊谷市出身。浦和レッドダイヤモンズ所属。2003年の第27回全日本少年サッカー大会で、江南南サッカー少年団の主力選手として優勝し、中学進学と同時に浦和レッズジュニアユースに入る。ユースチーム昇格1年目からサテライトの試合に出場(2007年は4試合、2008年は2試合)。2008年5月23日付けで2種登録選手としてトップ登録され、2009年1月30日に日本人でクラブ史上最年少で浦和レッズとプロ契約を締結した。
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取材・文/石井宏美 写真/新井賢一

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