楽しまなければ勝てない~世界と闘う“こころ”のつくりかた

2019年6月 3日

サッカー協会暴力相談過去最多120件! 明治初期まで"子ども天国"だったのに...

サッカークラブや各種スポーツ団体を対象に「スポーツマンのこころ」と銘打つ講義で、一流アスリートになるための心得を伝え続ける岐阜経済大学経営学部教授の高橋正紀先生。ドイツ・ケルン体育大学留学時代から十数年かけ、独自のメソッドを構築してきました。

聴講者はすでに5万人超。その多くが、成長するために必要なメンタルの本質を理解したと実感しています。

高橋先生はまた、「スポーツマンのこころ」の効果を数値化し証明したスポーツ精神医学の論文で医学博士号を取得しています。いわば、医学の世界で証明された、世界と戦える「こころの育成法」なのです。

日本では今、「サッカーを楽しませてと言われるが、それだけで強くなるのか」と不安を覚えたり、「サッカーは教えられるが、精神的な部分を育てるのが難しい」と悩む指導者は少なくありません。

根性論が通用しなくなった時代、子どもたちの「こころの成長ベクトル」をどこへ、どのように伸ばすか。「こころを育てる」たくさんのヒントがここにあります。
(監修/高橋正紀 構成・文/「スポーツマンのこころ推進委員会」)

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昔の日本は「子ども天国」だった(写真は少年サッカーのイメージです)

■通報件数過去最多120件 ペナルティは抑止力になるか

日本サッカー協会は2013年に暴力根絶相談窓口を設置し対策を進めてきましたが、18年度の通報件数は過去最多の120件に上ったそうです。そこで今後は、指導者の暴力によって全治1か月以上のけがを負った場合は、除名処分などのペナルティをもうけることを決定しました。

このことは暴力指導に対し一定の抑止力になるかもしれません。が、見方を変えると、全治1か月に満たなければ、われわれのサッカーファミリーとして居続けられるということです。

少年サッカーや中高の部活動では、子どもがコーチを追い詰めるかたちになるからと、保護者は被害届を出すことをためらいます。師弟関係のある子どもの心情を考慮したり、ほかのチームメイトが同じ環境でサッカーを続けられるよう配慮したりするケースもあるようです。

サッカー以外の競技を見渡しても、スポーツの指導現場に依然として暴力が根強いようです。

今年の春高バレーで優勝した市立尼崎高校のバレーボール部では外部コーチが生徒に平手打ちをして、鼓膜破裂という重大なけがを負わせていました。他チームからすべての面でリスペクトされるべきチャンピオンチームがこの状態では、バレーボールの暴力根絶への道はかなり厳しいと言わざるを得ません。ほかにも高校野球ミニバスケットボールと、暴力指導の報道は止まりません。

また、スポーツ以外でも痛ましい児童虐待のニュースも途切れません。

このように、令和の時代を迎えた今にいたっても、子どもたちは「指導」や「しつけ」の名目で大人たちから暴力を受けています。

■昔の日本は「子ども天国」だった

ところが、さまざまな文献から、昔の日本は「子ども天国」だったことがわかっています。

大森貝塚の発見者で明治初期に日本に滞在したエドワード・モースが、西洋文明の波に洗われる以前の日本人の姿を『日本その日その日(原題Japan Day by Day)』という本に、こう記しています。

「いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子どもたちの天国だということである。この国の子どもたちは親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子どもたちよりも多くの自由を持つ」

――他のいずれの国の子どもたちよりも多くの自由を持つ――。
私はここを読んだとき、とても驚きました。
サッカーで重要な「ひらめき」やアイデアは、自由な環境が必要なのに、現在の日本の子どもは決してそうではない。でも、百年ちょっと前までは「自由な子ども天国」だったのです。

さらにさかのぼると、16世紀にポルトガルから来日したルイス・フロイスが『日本史』という日欧の文化比較をした著書の中で、当時の欧州の子どもに比べると「日本の子どもはのびのびしている」という内容の記述を残しています。

「ヨーロッパの子どもたちはその立ち居振る舞いに落ち着きがなく、優雅を重んじない。日本の子どもはその点パーフェクトで賞賛に値する。(略) のびのびしていて愛敬がある」

フロイスは、織田信長に京都居住を許可された著名な宣教師です。彼のことが詳しい『子ども学 その源流へ』(野上暁)より引用します。

フロイス(1532~1597年)は、イエズス会の宣教師として16世紀の後半に日本に来て、35年にわたり布教活動をしながら、当時の日本とヨーロッパの子どもとの違いをさまざまな観点から比較対照して記録に残しています。

1.ヨーロッパの男児は頭髪を剪(そ)る。日本の男児は15歳に達するまでは髪は伸び放題にしておく。

2.ヨーロッパの子どもは長い間襁褓(むつき)に包まれ、その中で手を拘束される。日本の子どもは生まれてすぐに着物を着せられ、手はいつも自由になっている。

(引用元:『子ども学 その源流へ』(野上暁))

フロイスが、自由でのびのびと育つ日本の子どもの様子になぜ着目したか。なぜなら、欧州の学校では、伝統的に酷い体罰が行われていたからです。

同じ16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者であるモンテーニュの『随想録』には、次のような記述があります。

「何よりも、わが学校の大部分が守っているあの教育方針こそ、私を不快にいたしました。それは、まったく青春を幽閉する牢獄でございます。彼らの授業の最中にゆきあわせてごらんなさい。聞かれるものは、ただ罰せられた子どもたちの叫喚と先生たちの怒号ばかりでございましょう。あんなに恐ろしい顔をして、しかも手にムチを握って子供を導こうとは、実に不正危険なやり方と申さなければなりません」

これはモンテーニュの個人的な体験ではなく、欧州各国で類似したやり方でした。
フランスの歴史学者フィリップ・アリエスが中世から18世紀までの子どものありようを解説した『〈子供〉の誕生』には、以下の記述があります。

「ヨーロッパにおいて体罰はすぐれて『学校でなされる罰』となった。体罰は『学校でなされる罰』と婉曲によばれたのである」

子どもたちを暴力(体罰)で圧迫して、何かを達成させるという欧州の教育方針は、モースが日本に滞在した以降の20世紀まで継続されます。

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