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サッカー豆知識

自分は続けられないけど弟だけは......。一度はサッカーをあきらめた少年が、初めての給料で手に入れたもの

公開:2019年9月 5日

キーワード:イタリアスパイク兄弟平和感謝の心移民

朝練なし、居残り練習なし、ダメ出しコーチングなし、高額な活動費なし。蹴球3日でグングン伸びる。カルチョの国の少年たちと日本の育成現場は何が違うのかを紹介した「カルチョの休日 -イタリアのサッカー少年は蹴球3日でグングン伸びる-」の作者、宮崎隆司さんによる特別コラム。

日本のように最新の有名人モデルを次々に買ってもらえたり、キャンプや合宿でスパイクを忘れて帰ってきても「まあ、新しいものを買えばいいか」と忘れ物の問い合わせもせず新品を購入するなど豊かな国で生きる子どもたちとの日常の違い、サッカーができる喜び家族への感謝など、日本のサッカー少年少女にも知ってほしいことをご紹介します。(テキスト構成・文:宮崎隆司)

 

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家族と一緒にいること、サッカーができる喜び 豊かな国、日本ではあまり感じることがないかもしれませんが......

 

■9日間かけてアドリア海を漂流

今から5年ほど前、正確には2014年の12月11日。当時11歳だった私の息子が所属するサッカーチームの練習でのできごとです。この日から新しくチームに加わった子がいました。その子の父親の名は、クドゥベッティンさん。

父親も子どもも見るからにイタリア人ではなく、むしろ同じアジア系であることは明らかだったので、その親近感がそうさせたのでしょう、ごく自然に互いの距離が近くなると、どちらからともなく歩み寄り、会話を交わすことになったのです。

――出身は? トルコですか?
「うん、暮らしていたのはトルコ。でも私たちはクルド人なんだ」

――しかし今ここにいるということは、つまり......
「そう、私は政治亡命者。14年前に(内戦の)戦禍を逃れてまずは私だけがイタリアへ渡ったんだ」

――船で、ですよね?
「まずは陸路で(トルコ東部から)密かにイスタンブールへ移動して、ギリシャへ逃げて、アテネに着いてから15日間くらい潜伏して......。そこから船、といってもちっぽけな小舟、いわゆる難民船だね。それに400人くらいが乗り込んで___」

――正確にはいつなんですか?
「99年のちょうど明日、12月12日が出発の日だった。それから9日間をかけてアドリア海を横断した。というよりはまさに漂流したんだ」

――12月ということは、ものすごい寒さのなかを9日間も......
「文字どおり命がけだった。寒さだけでなく、空腹と荒波がすごくて。波の高さは15mを超えていた」

――であれば......
「途中で海に落ちる者もいたし、空腹で体力をなくして船上で命を落とす者も少なくはなかった。だが、私は幸いにもレッチェ(プーリャ州=イタリア南部)の港に漂着した」

――そこからフィレンツェへ?
「なんでもいい、とにかく仕事がある場所を探してね」

――家族を呼び寄せたのは?
「2002年。翌年、あの子(サッカーをしている彼の息子)、ローハットが生を受けた。だから幸いにもあの子は戦争を目にすることなく今を生きることができている。真冬の海で命を賭す必要もない。だが上の子たち(23歳の娘、18歳の長男)は人が死ぬ場面を目の当たりにしている。無数にね」

 

■ニッポンは世界で最も優れた国だからね

――......。ところで、政治亡命ということはつまり、もう生まれ育った地には
「もちろん帰れない

――もしも戻ったら?
「想像の通りだよ」

――イタリアへ来て14年が経つんですから、もう帰化の申請ができるのでは?
「2年前に申請した。そしてつい先ごろ、イタリア政府当局からの回答があった」

――結果は?
「残念ながらノー。却下されてしまった。病院(フィレンツェ大学病院)で運転手をやっていたんだが、その仕事ももうできない。それでもなんとか生きていく。愛する子どもたちを守るために私はまだ死ねない。ところで、君はどこの国から来たんだい?」

――日本です。
「ニッポンか......。うらやましいよ。世界で最も優れた国だからね。何といっても君らの国には戦争がない。平和がある。そして日本人は強い」

――というと?
「あの戦争(第二次世界大戦)における真の勝利者が日本であることを我々は知っている。少なくとも私たちはそう考えている。そして君たちの国には歴史がある。伝統が守られている。現在がある。希望もある」

――......。
「我々はすべてを失った。ところが君たちは、望めばいつだって祖国へ帰ることができる。それがどれほど幸せなことか・・・」

――そう思います。
「もし可能ならば、私も次はぜひとも日本人として生を受けたい」

 

■一度はサッカーをあきらめた少年から届いた、うれしいメッセージ

練習を終えた子どもらがロッカールームから出てきた。この日は、「続きはまた次の機会に」と、固い握手を交わして帰路に着いた。

しかしその後、彼ら親子の姿を見ることはなかった。

それから2年――。2016年の1月に父親、クドゥベッティンさんと再会した。

彼はパリ郊外の工事現場へ出稼ぎへ行き、3、4か月に一度の頻度で、ギリギリまで旅費を節約しながら、最愛の子どもたちと会うために、次男がサッカーをやっている姿を見るためにフィレンツェへ帰ってきては数日後には再びパリへ、という生活を続けていた。

だから20歳の長男が、父親代わりとして弟を練習場へ連れてくる。兄は優しく穏やかで、転げ回るようにして楽しくボールを蹴る7つ年下の弟の姿に目を細める。彼自身は経済的な理由でサッカーを続けることができず、しかしその辛さを微塵も見せることなく、「最愛の弟」を見守っている。

そして、さらに8か月が過ぎ、2016年の9月に改めて再会すると、父親はかつて見せたことのない笑顔でこう伝えてくれた。

「ようやく滞在許可証を取ることができた。私はフィレンツェで配送の仕事を得ることができた。息子(長男)もレストランの厨房で働き始めた。これでもう私たち家族も遠く離れて暮らすことを強いられずに済む」

同じく9月、新シーズンがスタート。弟のローハットくんは13歳になり、もう一人で練習場へ来ることができる。だからなのだろう、それとほぼ時を同じくして、正確には9月12日、『入団テストに合格! もちろんアマチュアのクラブだけど、やっと僕も大好きなサッカーができるようになったよ!』という嬉しいメッセージが、兄のウェラットくんから私の携帯に届いた。

 

■初めて手にした給料で購入したもの

そのウェラットくんは、そう言えば2016年の2月に、いつもと同じ優しい眼差しで弟を見守りながら、彼ら姉兄弟の名の意味を私に教えてくれていました。

長女のロジダは、夜明け。長男のウェラットは、祖国。そして彼の大切な弟の名、ローハットは、夜明け前(朝の陽光を浴びる直前の大地)。

父親がアドリア海を渡った99年の12月12日から17年目にあたる2016年。2002年に6歳でイタリアへ移り住んでから14年、二十歳になり、職を得たお兄ちゃんは、初めて手にした給料で、可愛い弟に新品のスパイクをプレゼントしてあげたという。

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テキスト構成・文:宮崎隆司

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