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本田圭佑選手のACミランでの背番号は? 歴代10番を振り返る

公開:2013年12月 9日 更新:2014年9月 1日

キーワード:ACミラン日本代表

 日本代表の本田圭佑選手がイタリア・セリエAのACミラン移籍が秒読み段階に入りました。13年の夏にはCSKAモスクワとの交渉が折り合わずに一度は消滅しましたが、本田サイドとACミランはすでに合意していることが明らかに。契約が満了し、移籍市場が開く1月1日にCSKAモスクワが移籍証明書を発行すればACミラン移籍が成立します。
 
日本代表 本田.jpg
 
 本田選手は子どもの頃から海外のビッグクラブでプレーすることを目標としてきましたが、それが27歳にして遂に叶うことになります。しかも、ACミランは背番号10を本田選手のために用意しているという噂も。ACミランの10番と言えば栄光に彩られてきた、世界中の子どもたちにとって憧れの背番号です。それを日本の選手がアジア人として初めて身につけるとなれば、日本サッカー界の将来にとっても明るいニュースになることでしょう。
 
 

■これまでのACミランで10番を背負ってきた、歴代プレーヤーを振り返る

 70年代に攻撃の中心として活躍したジャンニ・リベラが身に付けていたのが10番でした。イタリアでは周囲の予想も付かないプレーで攻撃にアクセントを付け、時に決定的なアシストやゴールを決める選手を“ファンタジスタ”と呼んで賞賛しますが、この選手こそ史上最高の“ファンタジスタ”と呼ぶ声は今もなお、根強く残っています。
 
 そこからACミランが欧州屈指の強豪として、国際的な知名度を一気に高めたのが80年代の後半。87年に加入したオランダ代表のフリットはトレードマークのドレッドヘアをなびかせ、長い足と華麗なテクニックで守備を翻弄。89年のトヨタカップ(当時、欧州と南米のクラブ王者が事実上の世界一をかけ中立地の日本で戦った大会で、05年からクラブW杯に移行)で来日すると、同じオランダ代表のファン・バステン、ライカールトと共に“オランダ・トリオ”として、日本のサッカーファンの間でも大きな話題となりました。当時のACミランはアリゴ・サッキ監督が“ゾーンプレス”という現代サッカーにつながる組織的な守備戦術を導入し、チーム全体が機械の様に動くことを求められました。しかし、その中でフリットは前目のポジションで比較的、自由に動き回ってチャンスを作る役割を担い、ACミランにおける10番のイメージを定着させることとなったのです。
 
 93年にフリットから10番を引き継いだのが“ジェニオ”(天才)の異名を取った旧ユーゴスラビア代表のデヤン・サビチェビッチでした。特に95-96シーズンからは選手の背番号を固定してリーグに登録する制度が設けられ、サビチェビッチは10番の象徴的な存在となりました。時に周囲の守備者がフリーズしてしまうほどの意外性に富んだボールタッチとパスは観客を魅了し、チームに多くの得点をもたらしました。
 

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文/河治良幸 写真/新井賢一

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