インタビュー

2018年6月12日

「利き足は頭」のFWだった槙野智章がDFとして歩み始めることになった、思わぬきっかけ

昨年、浦和レッズの主軸としてAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を制し、日本代表でも中心的な存在として活躍する槙野智章選手。広島県出身で今年31歳となったCBは、これまでに紆余曲折のキャリアを経て、日本を代表するディフェンダーに成長を遂げました。

ピッチ上のプレーだけでなく、明るいキャラクターで、様々なメディアにも登場。そのポジティブな性格は、果たしてどのように育まれてきたのでしょうか。今年開催されるロシア・ワールドカップでの活躍も期待される槙野選手に、自身のキャリアを振り返ってもらうとともに、将来、プロを目指す子どもたちに向けて、貴重なアドバイスをいただきました。
(取材・文:原山裕平)

(浦和レッズと日本代表の中心的存在へと成長した槙野選手)

<<「サッカーを学んだ記憶はない」広島ユースで恩師・森山佳郎監督に学んだこと

■上級生にもしっかり自分の意見が言えた

槙野選手がサッカーをはじめたのは、小学校1年生の時。すでにサッカーをしていた2人の兄の影響で、「気付いたら僕の生活にサッカーボールがあった」と言います。

 

ただ、当時槙野選手の通っていた小学校のサッカー部には、4年生にならないと入れない決まりがありました。そのため槙野選手は1年生からサッカーのできる隣町の小学校まで出向いて、「サッカーを習わせてください」と懇願し、入部を認められたのです。

 

「何も怖さはなかったし、当時から知らないところに飛び込んでいくメンタリティは備わっていたのかなと思います」

 

小学生とは思えない驚きの行動力の裏には、「絶対にやれる」という自信があったと槙野選手は振り返ります。実際に槙野選手は誰も知り合いのいないチームですぐに頭角を現わし、小学校3年生になると、6年生のチームに交じって、試合に出場できるほどの実力を備えるようになったのです。

 

「3年生と6年生では体格も全然違いますが、そういうハンデを背負いながらも、自分が中心だという気持ちでプレーしていました。当時から物怖じしない性格でしたし、上の学年の子に対しても、平気で要求してましたね。だから生意気だし、ムカつくと思われていたかもしれませんが、常に自分が一番だという気持ちでプレーしていましたよ」

 

当時、FWとしてプレーしていた槙野選手は、重要な試合でゴールを決めるなど、3年でありながらもチームの中心を担うほどでした。実力で上級生を認めさせればいい。槙野選手は強気な姿勢を保ち、自身の立場を確立していったのです。

 

■藤本主税選手の言葉で目標が明確になった

ただし、一緒にプレーする子どもたちは認めてくれても、保護者の立場からすれば面白くない部分もあったかもしれません。

 

「大変だったのは、うちの両親かもしれません。周りの保護者からいろいろ言われただろうし、辛いこともあったはず。でも、ありがたかったのは、両親が『自分の好きなことを一生懸命やればいい』と、温かい目で見てくれたこと。ただし、『途中では投げ出すな、最後までやり切れ』とも言われていました。僕はとにかくサッカーが大好きだったので、辞めたいと思ったことは一度もありません。今も仕事だと思ってやってませんから。サッカー少年の気持ちを持ったまま、大きくなった感じですね(笑)」

 

毎試合のようにゴールを量産する槙野選手は、次第に広島県でも注目される存在に。そして5年生の時の県大会で、自身の運命を決める出来事が起こりました。

 

「その大会で優秀選手に選ばれたんですが、そこに当時、サンフレッチェ広島に所属していた藤本主税選手が見に来ていて、こう言われたんです。『お前は絶対にプロになるから頑張れ』って。僕はサンフレッチェのファンでしたし、プロの選手にそう言われたことが本当に嬉しくて、サッカー選手になりたいという目標をリアルに持つことができました」

 

プロを目指し始めた槙野選手は、小学校を卒業すると、サンフレッチェ広島のジュニアユースに入団。目標に向けて着実に歩みを進めていきました。

槙野選手は、自身が成長できた理由として「自分のことを分かっていた」と話します。

 

■「利き足は頭」自分の武器を自己分析できていた

「僕は中学校の頃、ヘディングが得意だったので、利き足は頭って答えていたんですよ。自分のストロングポイントはそこにあると思っていたし、実際にヘディングでの得点も多かった。だから、自信を持って利き足は頭だと言えたんです。今の子たちは特長を聞かれても、なかなか答えられない。でも僕は、自分になにができて、どういうところに自信があるのかを理解できていた。それを知っていたからこそ、武器にできたし、そこを伸ばすことで成長できていったと思います」

 

FWとしてプレーしていた槙野選手でしたが、中学3年生の時に転機が訪れます。ある試合でDFの人数が足りず、ヘディングの強さと声の大きさを買われ、CBに抜擢されたのです。

 

普通、FWの選手がDFでのプレーを求められると、ネガティブな想いが働きかねませんが、ここでも槙野選手の前向きな姿勢が功を奏します。

 

「これまで、FWとしてゴールしか見てなかった僕が、後ろでプレーすることで、今までとは違うサッカーの楽しさを感じることができたんです。サッカーにはこういう楽しさもあるんだって。その試合では1点も取られなかったし、勝つこともできた。そういう嬉しさもあったので、またやりたいと監督に伝えて、そこから徐々にDFにコンバートされていきました」

 

ターニングポイントは得てして、ちょっとしたきっかけから生まれるものなのかもしれません。以来、槙野選手はDFとしてのキャリアを歩み、将来、日本を代表するプレーヤーへとたどり着くことになるのです。

1

関連記事

関連記事一覧へ