インタビュー

2017年5月10日

都並敏史が確信する、子どものやる気を生み、成功へと導く親の姿勢とは

東京ヴェルディの前身である読売クラブ、ヴェルディ川崎でプレーをしていた都並敏史さんは現在、解説者やコメンテーターとして活躍中です。
日本代表まで上り詰めた彼を支えたご両親はどういった教育方針だったのでしょうか。また、自らもサッカー選手として活躍中の息子2人を持つ父親でもある彼の"父親論"についても語って頂きました。(取材・文:竹中玲央奈、写真:新井賢一)
後編:「子どもは親の所有物ではない」2人の息子をサッカー選手に育てた都並敏史が語る、子どもを伸ばす"放任"のスタンス>>

■厳しかった父親から言われたことは「ルールを守るということ」

もともと野球少年であった都並さんは、小学校の頃に学校の担任の先生に教えられたことをきっかけにサッカーを始めます。そして小学校6年生のとき、同級生で読売クラブのスクールに入っている友達からの誘いを受けて「全てが始まった」と語ります。
「うちの両親は厳しい時は厳しかったです。家族の中でのルールは守りなさい、ウソを付くことはやめなさい、と。一般的なことですけどね。ただ、父親も母親もルールさえ破らなければ優しくて、すごく幸せに育ってきました。ですが、サッカーにはまりだしたらめちゃくちゃルールを破ってしまうわけです」
「例えば、日曜日の家族での食事とかあるじゃないですか。うちの父親は平日はすごく仕事を頑張っていて毎日帰りが夜10時になったりしていました。だから、休日に家族での外食を定期的に開催してくれていました。近くに住んでいたおじいちゃんおばあちゃんも呼んで。ただ、サッカーが始まったら夢中になってしまってその時間に帰れないんですよ。サッカーに熱中してしまって」
「当時の読売クラブには芝生のグラウンドが3面あって、子どもたちが使い放題だったんです。中2の時にはラモス瑠偉さんがグラウンドに来ていて、裸足で遊んでくれて、松木さんも隣でうろちょろしている。そんな面白い世界はないじゃないですか」
「そうなると毎週日曜日が遠足みたいになって、楽しくて時間も忘れてしまう。そのくらい朝から晩までサッカーをやっていたことで、親にスパイクを燃やされ、『ルールを破ったんだからサッカーはもうやめろ!』 と言われたこともありました」
サッカーに熱中するあまり家庭でのルールを守れない都並さんに対してこのような言葉を投げつけたお父さんでしたが、あるときをきっかけに応援する姿勢へと変わっていったと都並さんは言います。それは、彼が初めてユースの日本代表に呼ばれたときでした。
「当時はクラブユースなんかない頃だから、読売クラブがどんなクラブか分からないわけですよ。それでも続けている中で『サッカーが好きなんだろうけど、それでやっていくなんて無理だろう』と思っていたんでしょうね。だから僕には勉強しなさい、大学に行きなさい、と言い続けていました。学校の成績もあまり良くないし、将来どうなってしまうんだろうか、とも思っていたんじゃないですかね」
「ところが18歳の時に今で言うナショナルトレセンみたいな、500人ぐらい集まった研修会でNo.1の選手という形でサッカー雑誌に特集されたんですよ。いきなり人生が変わった瞬間でした。そうしたらそれまでサッカーをすることに反対してきた親父たちも変わって、バックナンバーを50冊ぐらい買ってきて親戚に配り出して(笑)」
次ページ:何も言われなかったことが、自身で考えるきっかけになった

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