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都市部とこんなに違う地方のリアル -地方発、子どもたちの未来づくり-

2019年2月28日

親が期待しすぎた結果、将来の芽をつぶし子どもがサッカー嫌いに... ダメ親だったわたしが心を入れ替えたキッカケ

キーワード:エストレヤクラブチーム会津泰成地方創生新潟サッカープロジェクト

元アナウンサーでフリーライター、放送作家などとしても活動している傍ら、子どものサッカーに熱心にのめりこむサッカーパパだった会津泰成さん。

都会の恵まれたサッカー環境を始めたお子さんのプレーに才能を見出し、いつしか親の方が熱心になってしまった結果、「親のために」サッカーをしていたお子さんはサッカーが嫌いになってしまった後悔をもとに、現在は都会にも拠点を置きつつ、地方で子どもたちにサッカーの楽しさ、素晴らしさを伝える活動をしています。

「地方発 子供たちの未来づくり」をビジョンに活動する「NSP新潟サッカープロジェクト」代表として、都会と地方の子どもを結ぶ事を目標に、育成年代のサッカー普及活動に取り組む会津さん。

都会と地方を両方リアルに知っているからこそ書けるコラムをご覧ください。
(サカイク編集部)

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会津さんが代表を務める「エストレヤ下田」の子どもたち

過去の思い出になりつつある、サッカー少年の息子と過ごした日々。
48歳になった親父は、山奥にある事務所でひとり、当時撮影した我が子のプレーを見てはニヤリとしたりや目頭を熱くしています。

今シーズン、Jリーグ三連覇を目指す川崎フロンターレのお膝元、川崎市中原区に暮らしていたわたしは、いまはサッカーを軸にした社会貢献に取り組むため、月の半分ほど新潟県で単身生活を送っています。

神奈川県と新潟県を行き来しているわたしだからこそお伝えできる、地方のリアルをお伝えできればと思います。

(構成・文・写真:会津泰成)

■見知らぬ土地での新たな挑戦を引き受けた理由

始まりは3年前。元アルビレックス新潟選手で、当時地方議員をしていた友人に、「スポーツで地域を元気にする活動(まちおこし)をしませんか」と誘われたからでした。

活動場所は新潟市のおとなり、三条市の山間部にある「下田(しただ)」という地域でした。下田村と呼ばれていた同地域は、2005年に合併して三条市の一部になりました。林業や農業がおもな産業ですが、人口流出、少子高齢化が急速に進み、いまは限界集落の一歩手前という地域です。

活動し始めてまもなく、ひとつの案件が持ち込まれました。

「地元唯一の少年サッカークラブを引き継いで欲しい」

聞けば、部員不足で、さらに指導者もおらず、活動継続が困難な状況に陥っている、とのことでした。

長年、サッカー業界に携わって来たとはいえ、わたしは情報を伝えるマスコミという立場でした。プレー経験も指導もありません。

それに、当時は地元の人たちから見れば、よくわからない「ヨソ者」でした。そんな自分に頼む時点で、状況が厳しい事は容易に想像できました。

とりあえず、練習に顔を出しました。選手は1年生から6年生まで、合わせて7人しか参加していませんでした。聞けば、自チームで試合に参加することも「しばらくしていない」という事でした。

下田地域の子どもをとりまく環境について調べました。全児童数は、311.00km2という地域全体で421人。わたしが暮らすもうひとつのまち、川崎市中原区は、下田地域の20分の1(14.74km2)の面積ですが、児童数は30倍以上の1万3000人以上いました。

また、最盛期は20数校あったという小学校もいまは5つまで減少していました。しかも、どの小学校も1学年あたり十数人規模しかいません。今後さらに統廃合が進む事は避けられない事もわかりました。

都会に暮らし、恵まれた環境が当たり前になっていたわたしは、地方の子どもたちを取り巻く、想像以上に厳しい現実を目の当たりにして、大きな衝撃を受けました。

クラブ名は『しただファンタジスタJFC』と言いました。このままならば、ファンタジスタは年度いっぱいで解散するようでした。そうなれば、子どもたちは地元でサッカーを続ける事は出来なくなります。

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最初は部員も数人しかいなかったという

「わかりました、引き受けます」

後日、わたしはそう伝えました。

見知らぬ土地。しかも、ソーシャルビジネスという新しい挑戦を始めたばかりの自分が取り組むべきは、まずは収益事業を作る事でした。少年サッカークラブの運営に精を出すほど、経済的にも精神的にも余裕はありませんでした。

それでも引き受けようと思った理由。それは、過去の思い出になりつつある、サッカー少年の息子と過ごした日々の後悔があったからでした。

■「おまえ、プロになりたいんだろ! だったら、もっと真剣にやれよ!」

わたしには、中学3年生になる息子がいます。幼稚園からサッカーを始めた息子は地元の街クラブに入り、チームの中心として活躍しました。

力試しに受けたJリーグクラブのセレクションでは最終選考に残りました。その後、東京都内の強豪クラブに移籍。そこでも変わらず活躍していました。わたしはいつしか、息子の練習や試合を観る事が、生活の最大の楽しみになっていきました。

「息子はもしかしたら、Jリーガーになれるかもしれない......」

夢を膨らませた親父は、チーム練習以外に、ふたりで自主練習を始めました。

と、そこで話が終われば、ごくありふれたサッカー少年と父親の姿でした。しかし、わたしは息子に対して、本人の意思に関係なくクラブの練習以外にもスクールに通わせ、サッカー以外の遊びを禁止したりや、挙げ句の果てには、不甲斐ないプレーを見せれば手を上げるなど、およそ愛情とはかけ離れた態度をとるようになりました。

息子はそれでも、最初は黙って従っていました。でも、次第に「お腹が痛い」「足が痛い」と言っては練習を休むようになりました。

チームではライバルも現れ出し、息子は絶対的な存在ではなくなりました。にもかかわらず、息子は悔しがることもなく、何となくサッカーをしているように思えたわたしは、ある時、息子にこう怒鳴りつけました。

父親「おまえ、プロになりたいんだろ! だったら本気でやれよ!」
息子「やってるし!」
親父「やってないじゃん!」
息子「やってるし!!」
親父「本気じゃないなら、もう協力しないからな!」
息子「良いよ」
親父「何!?」
息子「別に良いよ。サッカー、全然楽しくないし
親父「......」

わたしは言葉を失いました。

「あんなに一生懸命に教えて来たのに」

「夢を叶えるために、これだけ協力してきたのに」と。

■親が熱心になりすぎた結果、才能の芽を摘み、親子関係にも溝が......

いまならわかります。息子は「サッカーがうまくなりたいから頑張る」ではなく、「お父さんに怒られるからやる」という気持ちでいた事。結果、純粋にしていたはずのサッカー自体が嫌いになってしまった事。私は、息子の才能を伸ばすどころか、芽をつんでしまい、さらには親子関係にも溝を作ってしまったのです。
 
わたしは深く後悔しました。考えて見れば、いつの頃からか、息子はどれだけ活躍しようが、笑顔を見せなくなっていました。でも、わたしがそれに気づいた時、息子はもう最終学年になろうとしていました。

「サッカーをしている子どもを持つお父さん、お母さんには、自分と同じ後悔をして欲しくない」

「子どもたちには、サッカーは、上手くてもそうでなくても楽しいスポーツである事を知ってもらいたい」

わたしが消滅寸前の小さな少年サッカーチームを引き受けた裏には、そんな気持ちがありました。

「ありがとうございます! これでみんな、サッカーが続けられます」

選手の保護者のみなさんはじめ、わたしはみんなからお礼の言葉を頂きました。でも、本当にお礼を言いたいのは、わたしのほうでした。息子に出来なかった、未来ある子どもたちにサッカーの楽しさ、素晴らしさを伝えるチャンスを、もう一度頂けたのですから。

2017年4月----。
わたしは過疎地域にある小さな少年サッカークラブの代表になりました。

チーム名も『エストレヤ下田』に変更して、「地方発 子どもたちの未来づくり」を目指してスタートを切りました。ちなみにクラブ名にある「エストレヤ」とは、スペイン語でという意味です。過疎地域なので、夜は家のまわりの明かりも一切なくなり、足元も見えないほど真っ暗になります。

でも、だからこそ見える下田の夜空に輝く無数の星々のように、子どもたちがキラキラと輝いて欲しい、という思いを込めて付けました。しかし、この挑戦はそう簡単ではない事を、わたしはすぐに思い知るのでした。

次回は地方で始めた新しいプロジェクト、都会では当たり前と思っていた活動費などの認識の違いなど、いろんなドタバタを経験しながらチーム運営に尽力していることをお伝えしますのでお楽しみに。

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会津泰成(あいず・やすなり)
1970年長野県出身。1993年、FBS福岡放送にアナウンサー入社し、おもにスポーツ中継担当。1999年に退社し、フリーライター、放送作家として活動を始める。2002年にはNumberスポーツノンフィクション新人賞を受賞した。以後は、雑誌以外にもテレビ番組の構成や取材ディレクターなど、活動の幅をさらに広げる。
2015年、かねてから興味のあったソーシャルビジネス(社会問題を解決するビジネス)を始めるため、神奈川県川崎市から新潟県三条市下田地域に移住し、二拠点生活を始めた。現在は、「地方発 子供たちの未来づくり」をビジョンに活動する「NSP新潟サッカープロジェクト」代表として、都会と地方の子供を結ぶ事を目標に、育成年代のサッカー普及活動に取り組んでいる。

2019年度からは「総務省 地域力創造アドバイザー」に就任が決まった。今後は新潟に限らず、地方で同様の活動に励む仲間を増やし、子供たちの未来づくりに貢献したいと考えている。

著書
『天使がくれた戦う心』(情報センター出版)。『歌舞伎の童 中村獅童という生きかた』(講談社)。『マスクごしに見たメジャー/城島健司大リーグ挑戦日記』。『凡人が天才に勝つ方法』。『不器用なドリブラー』(すべて集英社)など。

『NSP新潟サッカープロジェクト』公式ホームページ

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構成・文:会津泰成 写真提供:NSP新潟サッカープロジェクト

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