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弱小チームのチカラを引き出す! 暁星高校林義規監督の教え

暁星高林監督の魅力とは?「だから、みんな先生に会いに来る」

公開:2015年1月 2日 更新:2020年3月24日

キーワード:暁星高校林義規監督選手権高校サッカー

※本稿は、『弱小校のチカラを引き出す』(著者・篠幸彦、東邦出版刊)の一部を転載したものです。

 

あなたの子どももサッカーを続けていれば通る道!? 高校サッカーのリアルがここにある。弱小校の子どもたちの力を引き出し、暁星高校サッカー部を全国出場に導いた林義規監督を追うルポルタージュ。短期集中連載、第8回。(取材・文 篠幸彦)

 

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林監督はなぜ生徒に好かれるのだろうか

 

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■林義規は『THE・教育者』

九段下駅前にあるカフェの窓際のカウンター席に、伊東遥輝と並んで座った。彼は2009年(平成21年)度の卒業生で、3浪をして現在は長野県の国立大の医学部に通っているという。
 
「先生がいるだけで緊張感がありました。1年生の中にはビビっていた人もいたと思います。でも硬い雰囲気ばかりだと生徒も息苦しくなるので、遠征先のバスの中で面白いことを言ってくれたり、そういう面もある人でした。ただ、基本は上下関係を重んじる『THE・教育者』という監督です」
 
厳しさの中に茶目っ気もあり、そして教育者としての目が鋭いと、伊東は林監督の印象を語る。
 
「それと生徒の性格に合わせて言い方を変える人ですね。言い過ぎると落ち込んでしまう生徒にはあまり強くは言わず、負けん気の強い生徒にはボロクソに言ってなにくそっていう気持ちを掻き立てる感じでした。部員40人の性格をすぐに見分けられるのはすごいなと思っていました」
 

■『見て、認める』ということ

大人しい伊東はあまり言われることはなく、比較的自由にやらせてもらったそうだ。そんな中、伊藤が今でも覚えている言葉がある。
 
「僕はドリブルが好きで、よく自主練をしていたんですよ。人があまり来ない時間帯とか、練習が休みの日にこっそりと反転トラップとか、サイドでの1対1のフェイントとか。ある日の試合でサイドでの1対1になって僕がドリブルで突破したんですね。そのとき先生が『ハルキ、あのとき練習していたフェイントだな』って言ったんです。僕はまさか見ていたとは思わなくてびっくりしたんですけど、『あ、見ててくれたんだな』って、嬉しかったですね」
 
見て、認める。林監督が言っていた最低限の信頼である。林監督のサッカーについてはどんな印象があるのか聞いた。
 
「毎年やるサッカーが違ったと思います。システムも僕がいた3年間で3―5―2から4―4―2、4―5―1と毎年変化していました。やっぱり暁星は選手を取れないので、代によって戦力が全然違うのが難しいところだと思います」
 
毎年変化する中でも『上手くやらせない』というベースのコンセプトはあるはずだ。
 
「自分たちのサッカーをやるより、相手にやらせないほうが勝ちやすいというのはありました。やっぱり都のベスト8以上になるとほとんどが自分たちよりも上手いチームなので」
 
システムは変化しながらも自分たちよりも強い相手を見据えたサッカーをやってきたという。そうした中で伊東は1年生ながらトップチームの控えメンバーにたびたび選ばれていた。
 
「トップ下で使ってもらっていたんですけど、ついていくのに必死でしたね。僕は中学から暁星なんですけど、暁星中のサッカー部は全国レベルなんです。それでも高校はレベルが違いました。中学でやれたことが高校ではまったくできなかったですね」
 
それでも起用された理由を自分ではどう感じていたのか。
 
「ドリブルとか、裏への飛び出しは得意だったのでそこを買われていたのかもしれないです」 ただ、正直……、と少し歯切れ悪く続ける。
 
「あの頃は自分がトップ下をやるような状況ではなかったと思います。監督はたぶん、2、3年生時を見据えて辛抱して使ってくれていたのかなって。そこは本当に感謝しています」
 

■監督から感じ取れるメッセージ

そんな伊東に対して林監督は多くを言わなかったが、無言のメッセージは受け取っていたそうだ。
 
「ドリブルで仕掛けてボールを取られてしまったらへこむじゃないですか。それで次、同じ場面で今度は仕掛けずにバックパスをしたら即交代でした。早いときは開始5分で交代というのもありました。『弱気じゃダメか……』って、言葉では言われなかったんですけど、わかりやすかったです」
 
こんなとき、ベンチに下がっても林監督からはなにも言われない。視線すら合わせてもらえない。ただ、痛いほど感じとれるのだ。お前がそんなんでどうすんだ、というメッセージを。
 
そんな日はすぐに学校へ戻って自主練に明け暮れたそうだ。
 
1年生の間は身体が小さく、守備が苦手な伊東は大会ではベンチに置かれ、終盤に攻撃の流れを変えるカードとして起用された。
 
2年生になるとレギュラーのうち7人は伊東の代が占めるようになっていた。それでも2年生と3年生とではやりたいサッカーのスタイルが違い、3年生のやり方に合わせる必要があったという。
 
「3年生は低い位置からロングボールを放るサッカーで、僕は身体が小さいのでそういうサッカーを一番苦手としていたんです。2年生はパスサッカーがやりたかったんですけど、最終的に3年生のスタイルでやっていたので最後はあまり使われませんでしたね」
 

■「全部、お前にかかってるからな」

2年時の選手権が終わると新チームが立ち上げられ、レギュラーの10人を2年生が占めて伊東たちがチームの中心となった。
 
「ショートパスを丁寧につなぐサッカーに変わって、これまでとまったく違うスタイルになりましたね」
 
攻撃はトップ下の伊東にボールを集め、そこから組み立てるのがパターンだったという。
 
「先生に個人的に呼ばれて『全部、お前にかかってるからな』って、そう言われていました」
 
伊東のチームと言ってよかった。監督もそれをしっかりと言葉で伝えていたのだ。そんな矢先である。
 
「関東大会が始まる1カ月前、3月くらいですね。練習試合のアップで、クロスからシュートという練習のときに腰に激痛が走って、動けなくなったんですよ」
 
伊東はそれから1週間練習を休み、復帰したという。
 
「復帰したと言っても痛み止めを飲みながらでした。関東大会もすぐだったので無理してしまった部分がありましたね」
 
復帰から2週間後、練習中に再び腰に激痛を覚え、その場からまったく動けなくなった。
 
「最初に腰をやったときにも2つの病院に行ったんですけど、2つともギックリ腰という診断だったんですよ。でも2回目のときは先生に別の病院を勧められて、そこでMRIを撮ってもらって初めて腰の疲労骨折だってわかりました」
 
1年から辛抱して使ってもらい、ようやく自分の代になった。新チームにやりがいと中心選手としての責任感も感じていた。なにより、「お前のチームだからな」という監督の言葉が嬉しく、忘れられなかった。伊東の精神的ショックも相当なものだった。
 
それから辛いリハビリが始まる。
 
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取材・文 篠幸彦 写真 サカイク編集部

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