インタビュー

2011年8月14日

Jリーガーからインドリーグへ。"海外組"の挑戦

――先ほど、シンガポール時代は英語を勉強しなかったと話していましたが……。

「インドに行ってから、英語を勉強しないとダメだなと、痛感しました。シンガポールに1年いたからか、なんとなく相手が話すことは理解できるのですが、やはり話すことが難しい。最初は、電子辞書で調べていましたが、監督やチームメートが、よく使う言葉を後で聞いたりしていましたね。

日本語を話せないというのは、けっこうストレスになります。たまに伝わらなくていいから、一人ごとでしゃべったり、大きな声でいってみたり、歌ったりして、外に出て発散していました」

――シンガポール、そしてインドと海外でプレーすることで、気づいたこともあったのではないでしょうか。

「まずシンガポールで1年プレーした時に、あらためて、家族のありがたみを感じましたし、大切にしなきゃな、と思いました。小さい頃、父にはよく怒られましたが、両親がそうして僕を厳しく育ててくれたからこそ、今の自分があるんだなと感じています」

――海外生活で、ご両親からのメールを楽しみにしてる、とブログで拝見したのですが、印象的なものを教えてください。

「父が還暦を迎えたとき、母と一緒に旅行に行ったようで、「旅行に行ってきたよ」というメールが来たんです。あと、父が「母と一緒に買い物に行ってきたよ」とか。僕が日本でプレーしていたときは、休日は僕の試合を見に来ることが多かったけれど、今はそうやって、休日を夫婦で楽しんでいると知り、嬉しくなりました」

――さて、最後に、市原選手のこれからの夢をお聞かせください。

「30歳すぎまでは、サッカー選手としてプレーしたいなと、考えています。日本でプレーできるのが一番いいのですが、今は、プレーできるのであればどこでもいい。その後は、できれば監督としても海外でサッカーとかかわってみたいですね。自分が指揮を執るチームに、どんどん日本人選手を受け入れて、広げていきたいなと思っています」

市原充喜

いちはらみつき
1986年1月31日千葉県生まれ。東京学館高校-ジェフユナイテッド市原・千葉-ジェフユナイテッド市原・千葉クラブ-ジェフユナイテッド市原・千葉-ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ-アルビレックス新潟シンガポール(S. League)-United SikkimFC(I-League 2nd Division:ユナイテッド・シッキムFC)。

公式ブログはコチラから 『魂 ~夢の途中~ 市原充喜の公式ブログ

取材協力/BAD ASS COFFEE海浜幕張店

取材・文/石井宏美
写真/サカイク編集部

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