インタビュー

2011年4月 8日

自分のできることに集中する‐森保一【File.1】

世界中の様々なスター達はどんな幼少期、少年時代を過ごしたのでしょう。彼らの知られざる一面や苦労、努力の一端に触れるこの連載。今回はアルビレックス新潟でコーチを務める森保一さんの登場です。

プロのない時代。サッカーは就職の手段……。

森保さんは高校卒業後、マツダサッカークラブで選手キャリアをスタート。サンフレッチェ広島、京都サンガ、ベガルタ仙台などで活躍し35歳まで現役を続けました。また、日本代表として35試合に出場し、W杯初出場まであと一歩と迫った”ドーハの悲劇”も経験。選手として常に第一線で実績を残してきましたが、最初からサッカーエリートとしての道を歩んできたわけではなかったようです。

「高校生の頃は選手権に出場したいとは思っていましたが、地元には国見高校という強豪校がありましたし、決して具体的な目標ではありませんでした。僕のなかでは、サッカー=就職の手段という部分も少なからずありました。山梨国体の選抜にも選出されましたが、試合には出られませんでしたしね。まだプロのない時代でしたから、その後のサッカー人生としては、仕事をしながらサッカーをプレーできる実業団という道を考えていました」

しかし、高校卒業を控えた秋、内定が出ていたマツダの高卒採用枠が減り、入社が見送られることになってしまいました。

「入社できないと聞いて路頭に迷いましたが、今西和男さん(当時・マツダサッカー部総監督/現・FC岐阜社長)が色々と動いてくれて、子会社のマツダ運輸(現・マロックス)に勤務しながら日本サッカーリーグ(JSL)に所属するマツダサッカークラブでプレーできることになったんです。  でも、新人は地域リーグに所属しているサテライトチーム、マツダSC東洋に選手登録をして、週3回そこで練習をしなければいけませんでした。そして、そこで結果を残せれば、上のチーム(マツダサッカークラブ)に引き上げられるシステムだったんです」

今、自分がいる環境のなかで、できることはすべてやった

「普段はトップチームで練習をするのですが、最初の頃、他の選手のレベルが高すぎてショックを受けたのをはっきりと覚えています……。今、コーチをしていて、若い選手がよく”ヘコむ”と口にしますが、僕の場合、まさに最初から凹んだ状態でした(笑)。  トップとサテライトを合わせて登録選手が50人だとしたら、僕は50番目からのスタートという気持ちでした。だから、がむしゃらにプレーするしかありませんでした。皆についていくのが精一杯で、とにかく日々のトレーニングは死にものぐるいでやっていました。  自主トレをしたいけど何をしていいのか、わからない。だから、ひたすら寮の階段を1階から5階まで一人でダッシュしたり、屋上で腕立て腹筋背筋をやったりと、自分が今いる環境のなかで、できることはすべてやっていました。  常に上手くなりたいと思いながら行動を起こしていましたね。やっている内容は別として、とにかく必死でした」

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