インタビュー

2011年5月 3日

『サッカーを辞めた2年間。それは、本当に"サッカーの大切さ"を痛感したかけがえのない時間』- 【File3】近藤岳登(神戸)

――2年間のブランクを取り戻すのは想像以上に大変だったことと思います。
「ベストの状態よりも10キロ近く太り、身体は筋力も落ちて脂肪がたっぷりのっていました(笑)。1回ドリブルをしただけで息が切れてしまったときは「本当に大丈夫かな?」と心配になりましたね(笑)。だけど、もう1度(サッカーを)やると決意したからにはとことんやろうと思っていました」

――社会人リーグの東海理化を経て、2003年にびわこ成蹊スポーツ大学に入学。再び大学に進学した理由はありますか?
「実は青年海外協力隊(JICA)に入りたかったんです。社会人で再びサッカーを始めてから、2度テストを受けたのですが2度とも落ちてしまって・・・。それでも諦めきれず、大卒の資格や教員免許が武器になるということで大学を受験したんです。JICAに入るという目標は、プロになった今も諦めていません。いつかプロを引退したときに、再びチャレンジしようと思っています」

■「サッカーをやってきた仲間とは本当に心でつながっている。まさに"絆"です

――話を戻して、大学時代は、周りは年下の選手ばかりですよね。
「僕一人だけが22歳でした(笑)。ただ、すぐに溶け込みましたね。僕たちは、ちょうど大学の1期生で、全校生徒200人のうち50人がサッカー部員だったんです。だから「サッカー部が授業をしっかり受ければ、みんなも受ける」といわれていました。その中でも僕は一番年上で、かつ社会人も経験しているということで「しっかりやれよ」とプレッシャーをかけられましたね。サッカーを真剣に取り組むのはもちろん、勉強も本当に頑張りました

――創部したばかりのサッカー部の雰囲気は?
「監督の松田(保)さんがとにかく厳しかった。たとえば、シュートを打って、そのボールがゴールポストに当たって外れたり、トラップミスをすると「お前の生き方が中途半端だから、ポストに当たって入らないんだ。お前の精進が足りないからだ」と口にするんです。その言葉をいわれ続けたことで、僕も「俺の人生の何がわかるんだ」と反抗し続けていたんですが、あるときに、ふと「これは本当に俺のことを思っていってくれているんだ」と感じるようになったんです。それ以後、監督の話を素直に受け入れ、真剣に聞き始めるようになりましたし、自分でもわかるくらい伸びましたね。おかげで、プロチームの練習に参加させてもらえるようになりました。卒業後、監督が「岳登は誰よりも一生懸命に生きていた」と話していたと、後輩から聞いたときには涙が出ましたね」

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