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波乱のプロ生活でも「サッカーが楽しい」から続けられた――元Jリーガー弁護士、八十祐治さん

2013年1月31日

キーワード:体験

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前回に引き続き、今回も元Jリーガーの弁護士・八十祐治さん(43)のインタビューです。“やれば出来る”という気持ちでサッカーを楽しみ、順風満帆といえるサッカー人生を送った学生時代でしたが、プロで待ち受けていたのは茨の道でした。年々、サッカー選手としては厳しい環境へと追い込まれていっても乗り越えることが出来た理由とは何だったんでしょうか?
 
 
<<前編:サッカーを通じて身についた『やればできる』という気持ち
 
 

■順風満帆なサッカー人生から一転、暗黒期となったプロ生活

――プロに入るきっかけというのは?
 
「関西選抜に選ばれたというのが一番大きかったですね。1部リーグで試合をしている姿を何度か見て貰っていたガンバさんに声をかけていただき、4年生の春休みに練習参加させてもらいました。その後、秋のリーグが終わったくらいのタイミングに正式に入団が決まりました」
 
――初めてプロの練習に参加した際はいかがでしたか?
 
「一言で言うと上手い(笑) 大学はミスしてなんぼという部分がありましたけど、プロはミスが少なくて、びっくりしましたね。イージーなミスはまったく無かったし、“本当にうまいな、この中でやっていけるかな”という思いはありました。ただ、本当に皆、楽しくサッカーに取り組んでいる。当時、ガンバには和田昌裕さん、久高友雄さん、本並健治さん、永島昭浩さんと凄い面々が揃っていて、ミスが少なく楽しいサッカーだったので、この中でやってみたいと憧れを持ちました」
 
――入ってからはそういった差は埋まってどう変わっていきましたか?
 
「入った最初は皆さん、本当に上手で戸惑いもあったけど、一緒にやると周りに引っ張られるというか、いいパスが来るし、いい所にいてもらえて、凄くやりやすかったですね。同じMFにけが人も多かったので入ってすぐにベンチ入りもさせてもらい、3試合ほど出させてもらいました。歯車がうまく回って、良い感じだったので、このまま行けばいいなと思っていたのですが、レギュラーが怪我から戻ってきた夏頃にサテライトに落とされてしまいました。そこでは個人的な実力を見せて、早くもう一度トップに上がるためにも、“いい所を見せないとダメ”と焦ってしまって、空回りしてしまった。どんどんミスも多くなってしまって、最後の方は頭がぐちゃぐちゃになってしまい、“ボールが来たらミスをするんじゃないか?”とか思ってしまったり。最後は精神状態がダメでしたね。最悪の状態でした」
 
――そして、ヴィッセル神戸へと移籍されました。
 
「テスト入団で入りました。ちょうどヴィッセルの1年目で、同年代の選手も多かったので、チームにも馴染めて良いスタートが切れました。ただ、開幕前に左足のじん帯を切ってしまったのです。手術して、入院して、リハビリして10月くらいに戻ってきたのですが、その直後にクビを言われてしまって。当時の監督だったバクスターにこれまで僕が知らなかったサッカーを教えてもらって、凄く楽しかった。システマチックで役割分担が明確、規律がしっかりあるサッカーで自分に合っていると思っていたので、もう1年やりたかったですね。あの時は凄いショックでした」
 
 

■サッカーが楽しかったから、サッカーが辞められなかった。

――大きな怪我は初めての経験ですか?
 
「それまでは無かったですね。手術も入院も初めて。サッカーがあれ程、長い間出来ないなんて事が無かったので、辛かったですね。リハビリしている時もこんなにも身体が戻らないものかと。痛みもとれないし、皆からは“手術失敗やで”なんてからかわれたりもしたりしました(笑)」
 
――挫けそうになったりしなかったですか?
 
「開幕前の3か月だけでしたけど、自分の中で凄く手応えがあったし、試合にも使えてもらえていた。バクスターのサッカーも分かり始めていたり、良い時期に怪我をしたので、早く戻りたい気持ちが強かったですね。焦りよりも頑張ろう、楽しいサッカーを取り戻そうと思っていました」
 
――怪我から戻り、今度はアルビレオ新潟(現在のアルビレックス新潟)へと移籍します。
 
「新潟へ行った時もチームが出来て間もない頃でした。決まったグラウンドが無くて、転々としたり、環境は全然、良くなかったですけど、こういう環境でもサッカーがやりたいという選手が集まってきていた。新潟にプロチームが出来て、このチームを強くするんだという気持ちで皆がいたので、選手同士の結束が強く固くて、凄く良かったですね。僕も怪我が明けてもう一度サッカーを頑張るんだという気持ちでやっていたのですが、結局、ここも2年でクビになってしまいました」
 
――決して順風満帆なプロ生活では無かったんですね。
 
「プロの間は本当に良いことが全然無くて辛かった。小学校からサッカーを初めて、プロになるまでは自分で思い描く姿が全部、実現するくらい理想のサッカー人生だったので、そこからの落差が凄く激しかったですね。プロの5年間というのは暗黒でした。辛くて本当に苦しかったですね。それでも、学生時代に『サッカーは楽しい』という事を感じていたので、苦しくてもサッカーが辞められなかった。諦めずにプレーできる場所があるなら、続けようと思えたのは、大学までに“サッカーが好き”という気持ちが持てたということが大きかったと思います」
 
――次に選んだのはアマチュアであるJFLの横河電機でした。
 
「新潟時代の先輩に『ここでサッカーを諦めるのはもったいない。僕が連絡するから行ってこい』と言って頂いて、2日間のテストの末、入団が決まりました。最初、仕事は自分で見つけないといけなかったんですが、ちょうど横河電機の関連会社でアルバイトとして雇ってもらえました。2週間くらいアルバイトをしていたのですが、『今後もサッカーを続けるなら』ということで正社員ならせて頂けたんです。平日は8時半から夕方5時15分のフルタイムで勤務し、残業もある中で夜に練習。週末は試合で全国へと遠征と休みなしで動いていました。サッカー自体は充実していましたが、身体はしんどかったですね」
 
波乱のプロ生活を過ごしても、辞めることが出来なかったサッカー。「まだ28歳と若かったんで、サッカーを続けるためには仕事も頑張ろう」という気持ちでアマチュア選手として再出発を図った八十さんに転機が訪れます。
 
 
後編:サッカーで学んだのは『成功する喜び』と『楽しむ』ということ>>
 
 
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八十祐治(やそ・ゆうじ)//
1969年10月31日生。大阪府出身。摂津総合法律事務所に所属する弁護士。大阪府立茨木高校、神戸大学を経て、Jリーグ発足の1993年にガンバ大阪に入団。MFとして、2年間3試合に出場した。その後はヴィッセル神戸や横河電機などを経て2000年に現役を引退。一度はサラリーマンとして働いていたが、弁護士の道を目指し、一念発起。
4度目の挑戦となる2005年に合格した。現在は大阪弁護士会に所属し、大阪市北区の摂津総合法律事務所に勤務する。
 
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取材・文・写真/森田将義 写真提供/八十祐治

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